生きる意味がわからないと思ったとき

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気分が落ち込んでいるときって、生きている意味がわからなくなる。

どうして、私は生きているのだろう、とか。

ポっと、消えてしまえば、どんなに楽だろうとか。

でも、そんなこと起こるはずなく。

仏教の世界では、人生は苦だらけや~、なんて言われているらしいけど、本当にそうなんだよね~。

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生きる意味がわからないときに出会った言葉

ある日、子育てで悩んでいるときに、「江原啓之のスピリチュアル子育て」という本を読んだ。

そこで「人は愛を学ぶために生まれてきた」みたいな一文があった。

なんか、すっと心に入ってきて、納得した。

そんなのよく言われていることじゃん、なんて思う人もいるかもだけど。

その時の私には、その言葉が心にしみた。

その言葉が必要だったんだと。

生きる意味がわからないときに考えたこと

それから、「愛」というものについて考えてみた。

私の周りには「愛」がたくさんあることに気づいた。

もらっている愛もあれば、与えている愛も。

与えているなんて、いうと、おこがましい感じがするから、自分から発信している愛とでも言おうか。

夫も優しくしてくれるし、親からも段ボールの中に入れられて育てられてきた(ような気がする)

子供には、愛情を注いでいる(上手く注げているかは、わからない)

世の中は愛でできているとまでは、まだ感じないけど。

少なからず、私の周りには愛がある。

全ての人に「愛」をあげることは、まだ、できない。

やっぱ、嫌いな人や苦手な人もいるし…。

自分の精神的に避けていることもあるから。

でも、できるところから、「愛」を発信していきたい。

どうやって?

「愛」を発信するか。

今、思いつくことは、「思いやりを持って周りの人と接する」とか「人に親切にする」とか?

大きなことはしなくて、いい。

小さくても自分のできる範囲でやる。

生きる意味がわからないときに意識してやろうと思ったこと

自分から「愛」を発信することで、周りが変わってくるだろう。

きっと、「愛」が返ってくる

すぐとは限らないし、愛をあげた人からではなく、違う人から愛が返ってくる、ということもあるだろう。

そうすると、生きやすくなる。

生きやすくなれば、「生きている意味がわからない」なんてことは、なくなる?

それは、わからないけど…。

私は、できる範囲で愛を持って人に接したい。

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